1.一の鳥居
国号6号沿いに立つ助川鹿嶋神社の玄関口です。鳥居前の掲示板には季節ごとのご案内を張り出しております。
2.二の鳥居・旧鳥居
一の鳥居を進みますと、すぐに見えるのが二の鳥居です。二の鳥居は東日本大震災により倒れた旧鳥居の手前に平成25年にたて直されました。二の鳥居からみてご本殿側に立つ2本の石柱は、震災の経験を忘れないためにと残された旧鳥居です。
3.手水舎
参拝前には手水舎で身を浄め、手口を洗います。
【手水の作法】
- 手水舎に一礼する。
- 右手で柄杓(ひしゃく)を取り、手水を掬(すく)う。
- その手水で最初に左手を清める。次に柄杓を左手に持ち替え、同様の動作で右手を清める。
- 口をゆすぐためもう一度右手に柄杓を持ち替え、左の手のひらに手水を溜めて口に含む(柄杓の椀に直接口をつけない)。
- 音を立てずに口をゆすいで清め、左手で口元を隠してそっと吐き出す。
- 先の動作で左手をもう一度清める。
- 最後に柄杓の柄を片手で持ち、椀部が上になるよう傾け、柄に手水をしたたらせて洗い流す。
- 柄杓を元の位置に静かに戻し、一礼する。
4.日立市指定文化財 西上町舞屋台
旧助川西上町舞屋台 日立市指定文化財(工芸品第3号)
指定年月日 | 昭和47年2月24日 |
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管理者 | 旧助川西上町舞屋台保存会 |
詳細 | この舞屋台は、旧助川村に鎮座する鹿嶋神社の祭礼に、江戸時代後期から曳きまわされてきた踊り屋台の一つです。 西上町のほかに、本東町、中下町、南町にも舞屋台がありましたが、昭和20年7月の戦災により焼失しました。 屋台の構造は、4つの車輪を組み込んだ下土台、舞台と楽屋を備えた上土台の2層になっており、中央の心棒を軸にして回転できる回り舞台になっています。そして舞台と楽屋を結ぶ花道は上土台から引き出せる張り出し花道構造です。 舞台と楽屋は御簾で区切られており、上部の欄干には見事な籠彫りをはじめ、錦鶏と遊ぶ童子や松竹梅が彫刻されています。その裏側には作者と思われる「総州産千葉権之助常胤後胤後藤重胤」と記された墨書があります。 この舞屋台の大きさは、高さ4.6メートル、幅2.93メートル、奥行き4.4メートルです。 |
日立市教育委員会
5.茨城県指定無形民俗文化財 日立のささら(助川佐々羅)
日立のささら(助川佐々羅) 茨城県指定無形民俗文化財第14号
指定年月日 | 昭和38年8月23日 |
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管理者 | 日立郷土芸能保存会 |
詳細 | 日立地方には、「ささら」と呼ばれる獅子舞がかく集落に伝えられています。 ささらとは、竹を擦り合わせる楽器のことですが、現在では獅子舞を指す言葉としてだけ残っています。 助川ささらは、大獅子、中獅子、雌獅子が、腹に抱えた小さな太鼓を両手の撥だけでたたきながら舞い、その回りを「しゃぐま」と呼ばれる女装した童子たちが、笛役の奏でる曲に合わせて囃し立て雰囲気を盛り上げる伝統芸です。 特にしゃぐまは日立地方の獅子舞に特徴的なものです。 助川ささらは、地元の助川鹿嶋神社の祭礼に際して五穀豊穣の喜びと集落の平和いを願い奉献されるものです。 また、江戸時代から、宮田町に鎮座する神峰神社の大祭のときには、宮田、会瀬のささらと共に神幸に先立ち露払いの役もつとめてきました。 助川ささらは、助川鹿嶋神社助川佐々羅保存会によって保存伝承されています。 |
日立市教育委員会
6.社務所・会館
祈祷申込みや、授与品、おみくじをお求めの場合は社務所までお越しください。また約80畳の会館では大広間もご用意しており、お貸出しもさせて頂いております。詳細は下記ボタンよりご覧ください。
7.本殿
助川鹿島神社は大同四年九月十五日鹿島神宮より御分霊を勧請されたとされている歴史のある神社です。当初社殿は茅葺きの小さな社でしたが、昭和十一年に社殿を造営いたしました。しかし昭和二十年の空襲で境内の施設を大破消失し、昭和三十六年十月十五日社殿並びに社務所竣工し、御出社の大祭例を斎行し、昭和六十年十月十五日、社殿の屋根を現在のような銅板葺きに葺き替えました。
【参拝の作法】
脱帽
二拝・二拍手・一礼
8.境内社
ご本殿の裏には境内社が2社ございます。ここにはかつて助川鹿嶋神社にあった10社ほどの小さなお社をおまとめし、お奉りいたしております。
9.駐車場
助川鹿嶋神社では参拝者の方に駐車場を設けております。月極駐車場もございますのでご利用希望の方はお気軽にご連絡ください。
助川 鹿嶋神社社務所
TEL 0294-21-2920
10.力石(ちからいし)
幾年の時を重ね、力強く形成された富士の溶岩石です。石に触れていただき、力を頂きましょう。